ココナッツ油のすごさと、私の体験

私が初めてココナッツ油のことを聞いたのは大阪の天王寺区に住む友人の奥さんからだった。友人は先天的にインシュリンの出にくい一型糖尿病になっておられ、加古川市の糖尿病の専門病院である崇高クリニックにかかっておられた。酷い時には血糖値が300からあって苦しんでおられたが、2週間の入院で食事療法を受けられ、食後血糖値が80から90に下がりインシュリンを打たなくてもよくなったと喜んでおられ、そこで使われていたのがココナッツ油でアメリカから輸入されたものだった。その院長はアメリカの大学で教鞭をとられ、徹底した糖質の制限とココナッツ油の使用で糖尿病を良くしておられるようだ。同じ2013年の12月に神戸の長谷部節子さんからココナッツ油の話を聞いた。

自分の晩年は鉄工所代表として過労を繰り返し、また過食もかなりひどい状態で次々と病気を発症し、20才の時に右の腎臓を摘出し58才位でひどい動脈硬化の狭心症を患い、血圧は上昇し、40才頃より痛風になり、65才で心臓にステント入れられ、67歳で脳梗塞を発症し、その時はもうあと2~3年の寿命だなと思い、覚悟を決めていた。

71才の時に妻が大腸癌を発症し、おまけに肝臓癌にもなっていて、あと一年ももたない、翌年の桜は見られないだろうと言われた。でも何とか妻の命を助けたいと抗がん剤を半年でやめ、東洋医学、自然療法、食事療法を実行し、医師の予言よりも一年は寿命を伸ばす事ができましたが、やはり癌を治してやることはできなかった。その当時より自分の体も自然療法、食事療法を心掛ける様になり、食事も心掛けてはいたが妻の三回忌が終わる頃までは心身共に打ちひしがれていた。

その頃メキキの会を長谷部さんから教えられ、だんだんと人生の仕上げを生き甲斐を持って生き延びようと思うようになった。しかし、病院での検査で胆嚢に石が10ケ位あると言われ、母が胆石の発作で苦しんで何回も病院に連れて行ったことを思い出した。それで私も母と同じ様になってはいけないと思い、テンプラも食べるのを控えて生活していた。

そして2013年の12月、ついに長谷部さんと出合いでココナッツ油を知ったのだった。この油を使いながら生きていけば、色々病気を持っている自分でも長く生きられるのではないかと思えるようになった。メキキの会で自分のこれからの生き方は「人に尽くす」この生き方が最も自分にふさわしいのではないか。

お金もほとんどない、また、知識も教養もない、学力もない(中卒故に)自分ではあるが、自分の体、病弱な体を元気に保つことで掴んだ知識を人々の健康の維持に役立ててもらうことが唯一自分が人に尽くすことができる事ではないかと思っている。今はココナッツ油が健康維持に役立ち、その人に喜んで頂けることが自分の喜び生き甲斐なんだと痛感している昨今である。それは死という不安を感じてきた自分だからこそ掴めた感じではないかと思っている。ココナッツ油こそ、正に天の助けだったんだとさえ思っている。

ココナッツ油は胃で消化できるというのも驚き。そしてエネルギーとして使われた残りは排泄されるというのも驚きだった。植物油は残れば体内に蓄積されメタボになると聞いていたので、素晴らしい油である。ココナッツ油を使い10ケ月、どんどん元気になっていく自分を振り返り、これなら病弱だった私でも長生きできそうだと確信できるようになった。植物油は酸化するとは以前から聞いていた。それで料理に使う油はオリーブ油(エキストラバージン)とごま油しか使っていなかった。今はココナッツ油1本にしぼっている。あとは3ケ月で満80才になる自分。よくここまで生きたと思うと共に、これからもココナッツオイル油を適度にとりながら、元気で生き抜いていきたいと思う。

中学3年の夏休みから結核を発病し20才まで病院生活を送っていた自分。義務教育でも休校が長く、卒業証書も頂けないかとも思っていた自分。あと残されたこの生命を病気を持った人を助けながら喜んでいただき、自分もそれで喜びと生き甲斐を感じながら、元気で動き回り、家庭菜園で無農薬野菜を作って食べながらピンピンコロリと生涯を終わりたいと思う。それがこの世を生きる自分の使命であり、お世話になった人たち、社会への恩返しになると信じて。

ココナッツ油の勉強は本当に楽しい。長生きできて楽しい思いができて嬉しい。楽しいと感謝と喜びにつつまれておくれるこの余生。ありがとうございます。